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40代になって人生のモヤモヤと向き合う

今回は、40代の悩みについて書きたいと思います。

最近、途方もない虚しさや不安を感じることがあります。

悩みの根本的な性質は違いますが、このような現象は、高校生や大学生のときに悩んだ、いわゆる「自分探し」の悩みと似ています。何を悩んでいるのかも分からない、具体性のない悩み、解決の方向性すら分からないなど、悩みの正体に具体性がないといった点で似ています。

自分は何のために生まれてきたのか?自分はどういう人生を歩んでいきたいのか?この答えを見出すために、ひたすら本を読んだり、海外を旅した時期もありました。

このように、若いときに感じていた、得体の知れない大きなモヤモヤが、40歳を過ぎた自分の前に立ちはだかっています。

今回は、この得体の知れないモヤモヤについて触れたいと思います。

【目次】

 

40代は人生の中間地点「このままでいいのか?」

40代にして訪れた何か漠然とした虚無感や不安は、一体何なのでしょうか。

おそらく、人生の折り返し地点に差し掛かっており、これまでの人生、そしてこれからの人生について深く考えがちになることが原因かと思います。

山登りに例えるならば、これまでは雲で見えない頂上を目指してひたすら道なき道を登っていましたが、ちょうど今の私は、もっと先にあったはずの頂上が急に見えてしまい、あとは下山するだけといったところです。

なんでしょう、この先の人生が見えてしまった、といった状況で「このままのでいいのか?」と自分自身に問われているような感覚です。

おそらくこの悩みは、日々の刺激のない生活、目的のない生き方(自分で思い描いていた現実的なイメージは達成してしまった)、もっと他の別の人生もあったのではないか(豪邸に住み、スーパーカーに乗るような経済的に大成功していた可能性もあったのではないだろうか)というような思考がぐるぐると頭の中をかけまわっています。

つまり、これまでと同じように、これからの人生も送っていくのか?

本当にそれでいいのか?と問われています(じゃぁ、別の選択肢って何だろうか?を自信に問うても謎は深まるばかり)。

このような気持ちになってからもう数か月が経つので、自分自身のため、同じような悩みを抱えている方のためにも、答えが見つかるか分かりませんが、少し整理することを試みようと思います。

 

40代の悩み モヤモヤの正体は?

何となく続いているモヤモヤ。気分的にも少しではあるが落ちているように感じます。一体私は何に悩んでいるのか、少し具体的に掘り下げて考えていこうと思います。

 

毎日が同じことの繰り返し、これからも同じことが続く

人生の大イベント(結婚・子ども・住宅)を経て、仕事に対する情熱も落ち着いてしまった。また、特に新しく何かにチャレンジするわけでもない(チャレンジする気持ちがないわけではないが、最近では子育てにお金がかかり、あらたなチャレンジに使えるお金もない)。

このような状態で毎日が生き生きするはずもありません。自分でもよく分かっています。

これまでは何かをクリアすれば、さらに新たなる目標を掲げチャレンジしてきました。例えば、資格取得やスポーツなどの趣味の開拓、このブログ作成もその一環です。

しかし、このチャレンジ精神が弱まってきた気がします。何となく日々を過ごしています。

「このままずっと生活して人生終わるんだろうな」というような少し悲観的な気持ちにさえなります。決して今も不幸なわけではありません、むしろ幸せに感じることは多いです。しかし、高校生や大学生のときに漠然と描いていた自分の将来(=経済的に大成功する将来)とは確実に違います。

それでも、これからも変化を望まないであろう自分に悲壮感を抱くわけです。

 

資産形成の限界

現在40代の私の年収ですが、統計データでみると同年代の平均年収は超えています。貯蓄も積極的に行い、20代のときから投資を始めるなど、老後に備えています(具体的にはアッパーマス層(資産3,000万円以上5,000万円未満)を目指して将来に向けて節約生活を続けています)。

しかし、仮にアッパーマス層になれたとして、老後に悠々自適な生活ができるのかとても不安です。

当然ながら上には上がいるわけです。億単位の資産を持つ方がいらっしゃるわけです。

自分としては、これまでの努力してきた自負もありますが、さすがにどう考えても億はムリです。まったく現実的ではありません。

現実的に退職までどれだけ貯蓄できるかと言うと、創意工夫しても、個人的にはアッパーマス層(3,000万円~5,000万円)が限界であると思っています。このように感じている子育て世代は多いのではないでしょうか。

ただ、仮に5,000万円の資産が形成できたとしても、老後の生活はなかなか厳しいもののような気がします。それでも、どうすることもできないことにモヤモヤします。

 

自分の人生を見つめ直すのは自然なこと

40代ともなれば、人生半ばと言えます。体力の衰えや健康面での不安を感じ始めたりもします。

すると、これまであまり考えなかった、人生の終着地点を考え始めます。「死」を意識するというよりは、もう半分の残りの人生をどのように生きていこうか。どのように余生を過ごしていけば後悔のない人生を送れるだろうか、と考えたりします。

「人生は選択の連続である」という言葉を聞いたことがあるかもしれませんが、まったくその通りだと思います。もっと他の人生があったのかもしれません。確かに、他の人生があったのかもしれませんが、別にこれまでの人生を後悔しているわけではありません。

ただ、すごく大成功しているような方(=富裕層の方)を見ると、羨ましく感じたり、自分も大成功できるのではないか?と悲壮感を覚えることがあります。

私の場合、自分のこれから先の人生がある程度見えてしまっているわけですが、そうするとこのままでは富裕層にはなれないわけです。

このようなことがきっかけで、「果たしてこのような生き方を自分は望んでいたのだろうか?」と自分自身に問うことが最近になって多いと感じます。

理由はどうあれ、このように自分の人生を見つめ直したり、「他の人生があったのかもしれない」と考えてしまうのは自然なことだと思います。

このように自分と向き合うことで、これから先の人生を豊かなものにできるのではないでしょうか。

ですから、今回のモヤモヤする気持ちをあまり悲観的に捉えるのはやめようと思います。より人生を豊かにするためのチャンスと捉えて、きちんと向き合っていこうと思います。

 

若い頃に描いていた未来とのギャップは気にしない

この記事を書きながら感じたことがありましたので、少しだけ補足させてください。

私が学生時代に描いていた自分の未来、それは漠然とですが当時一般的に言われていた「勝ち組」になると思っていました。当時の「勝ち組」とは、いわゆる年収1,000万円以上です。これは夫婦合算の年収が1,000万円以上であれば生活水準は同じですよね(むしろ夫婦共稼ぎの方が税制や手当も優遇されています)。

しかし、現実には年収1,000万円もしくは世帯年収1,000万円程度では決してお金持ちとは言えません(※年収1,000万円程度でお金持ちと勘違いして見栄を張ると、生活が苦しくなることが容易に想像できる)。

質素な生活は可能ですが、買い物や旅行は我慢することが多いですし、高級車なんてとても買えません。

もっと言えば、年収が2,000万円以上や資産を数億円持っているような方の生活が目に入ってしまい、その方達を羨んだりしてしまいます。

では、自分もさらなる年収アップを目指すかというと、今の自分は確実にこのまま現在の職場に定年まで勤めることを望んでいます。年収がほぼ頭打ちであるのにです。

なぜかと言えば、年収はそこそこであるものの、転職を決意させるまでの不満もないですし、何より年収アップを目指して転職する意欲がまったくありません。

20代の頃の昔の自分は他の超一流企業への転職を経て、起業することも視野に入れていましたが、現在の自分は180度考え方が違います。

つまり、過去の自分は望んでいないが、今の自分はこのまま現在の職場で仕事をすることを望んでいるわけです。

こういうとき、どうするか。当然、優先すべきは今の自分です。

過去に描いてみた未来なんて、ただの幻想だと思って捨てましょう。

過去の幻想にこだわることは、他人と比較しているのと同じくらい無意味です。

過去の自分が描いていた未来は、年齢を重ねるにつれて、無意識のうちに少しずつ更新されていきます。

 

いつ人生を悲観するのか、タイミングを発見

人生を悲観してしまうタイミングはいつなのでしょうか。あらためて考えてみると、驚いたことに次のような場合が突出して多いことが分かりました。

・高級車を何台も所有している人を見たとき

・豪邸に住んでいる人を見たとき

・事業に成功するなどして何億円もの財産を持っている人を見たとき

 

ん?んん?

これらのケースは、すべてお金に関連するものでないか。

なんだ、結局、人生お金か?

ここで客観的なデータを見てみましょう。

マイナビニュースによると、人生においてもっとも大事だと思うことの1位は「お金」です。なんと30.5%の回答。ちなみに2位は「愛」(25.5%)。

 

人生はお金なのか?お金以外に不満はないのか?

「自分が描いていた人生はこんなもんで終わっていくのか」とか「もっと別の道に進む人生もあったのかもしれない」ということをいつ、どのタイミングで思うか?

高級車が欲しくても買えないとき、私の場合これが多いです。これはズバリお金がないことに起因しますが、さて、お金以外に不満はないのでしょうか?

 

お金以外に大切なもの

ちなみ先ほどのデータによると、2番目に大切なものは「愛」ですが、現状としてこれには満足している状況です。ありがとうございます。

私にとって大切なもの、家族、健康が挙げられますが、今のところ十分に満足しています。

つまり、幸いなことにお金以外に悩ましい部分はありません。

この時点で、お金以外に悩みがないことがなんて幸せなことかと実感しました。

ただそれだけで、少し楽な気持ちになれました。

 

仕事は人生において重要か

1日=24時間ですが、1日の1/3は仕事をしています。そう考えると、限られた時間の中で、仕事の占める割合は大きいですね。

仕事の充実度=人生の充実度と捉える方もいらっしゃいます。

私が学生時代に就職活動していた際に、某外資系企業のパンフレットには、「人生のすべてを仕事に捧げる覚悟がありますか」と大きく書かれていたことを覚えています。

少し大袈裟に書いてしまいましたが、多くの方にとって仕事は人生の大切なものとして挙げられるかと思います。

私の場合は、仕事はお金のためにしているだけなので、仕事は人生の重要度にあまり影響しません。しかし、昔の自分は明らかに違う考え方をしていました。

若い頃の自分は、外資系コンサルで5年くらい修行して、その後独立。これしか考えていませんでした。

しかし、今の自分はまったく違います。おそらく現在の職場に定年まで勤めると思います。これは確実にお金のためです。仕事のやりがいとか生きがいとかは二の次です。

ただ、仕事も社内ではこれ以上のキャリアアップは望めそうにもないので、どちらかというと部下の育成にウェイトをシフトしつつあります。これ以上、仕事に何かを求めるとなると、会社の役員を目指すか、転職でキャリアアップを目指すか、自ら起業するかということになりますが、果たしてその気はあるのでしょうか。

 

想定1:例えば、勤め先の役員になりたいか?

絶対なりたくないですね、お金はたくさんもらえるでしょうが、ごめんなさい、解決すべき問題があり過ぎて、寿命が縮みそう。土日も付き合いがありそうで本当にムリ。私のような考えのタイプは役員になれるような人格を有していません。

 

想定2:例えば、高給取りの超一流企業に転職したいか?

今の職場よりキャリアアップを望めるような企業に転職したいか?という問いに対しては、正直あまり興味がありません。

キャリアアップしたい気持ちはあるのですが、今の職場でそれなりの地位を築いているので、非常に居心地は良いです。

仮に超一流企業に転職する機会があったとして、どうするかは分かりませんが、本題に戻りますが、少なくとも職場のことで悩んでいることはありません。

 

想定3:自ら起業する気はあるのか?

憧れますが、現実的に起業する意欲がありません。自営には自営の魅力がありますが、子育てもありますし、収入面・労働時間などにおいて現状に照らすとリスクが高過ぎます。

 

今の職場で働き続けるのか?

答えは「イエス」です。

理由は、先ほどのとおりですが、転職も起業も本気で目指すほど今の職場に不満がないわけです。消極的な理由ですが、現状の気持ちとしては、今の職場で働き続けると思っています。

ただ、職場に何の不満もないかと言えば、不満はあります。

・人間付き合いを面倒に感じる

・他人との比較に疲れる

・出る杭になると面倒である

ただ、これは、転職しても、同じ問題は付き纏うし、起業したら人付き合いは尚更重要になります。

また、これらの要素は自分次第でどうにでもできる問題です。

例えば、職場の人間関係に疲れるのであれば、ある程度割り切って、最低限の付き合いで済ませることも選択肢のひとつかと思いますし、人生における仕事の位置づけは人それぞれですから、すべてにおいて他人と比較しても意味がないと考えればいいのです。

ということで、自分の最近の人生のモヤモヤを整理すると、お金以外には特段悩みがない、あるいは、解決することが可能であることが分かりました。

参考までに、自己啓発本としておすすめの本をご紹介しておきます。

 

どれだけお金があれば悩まないのか?

先ほども触れましたが、私の年収は平均値より少し高いです。

ただ、お金持ちでないことは確かです。貧乏ではありませんが、決してお金持ちではありません。

どういった面で自分はお金持ちではないと感じるのでしょうか?

これまた人ぞれぞれですが、私の理想するお金持ちは、「お金を理由に欲を制限しなくてよい」ことです。つまり、お金のことを心配しているうちはお金持ちではなく、何をするにもお金のことを考えることのない状態が理想です。

では、いくら資産があれば、お金のことを考えなくなるでしょうか?

私自身、何歳まで働くか分かりませんが、60歳と仮定しましょう。

人生100年時代ですから、退職後の余生は40年とします。

なお、退職後の資産運用(投資)は一切行わないものとし、年金以外の収入は考えません。

生活費20万円/月⇒240万円/年×40年=9,600万円

固定資産税20万円/年×40年=800万円

住宅リフォーム500万円

自動車500万円×2台(退職後2台購入想定)=1,000万円

軽自動車200万円×2台(妻の移動用)=400万円

支出合計1億2,300万円

このうち、夫婦2人での年金受給10万円/月×12×35=4,200万円

1億2,300万円ー4,200万円=8,100万円

 

決して、過剰な算出ではないと思いますが、60歳退職時に夫婦2人で8,100万円あれば、裕福ではないが貧しい思いもしない生活を送れるかと思います。

しかし、8,100万円あっても私は不安だと思います。

年に数回は旅行に行きたいし、自動車だって高級車に乗りたいし、孫に小遣いあげたいし、ってなると、やっぱり1億円はないと安心できません。

 

1億円の資産があれば悩まないか?

さきほどのとおり、私見ですが、60歳時点で1億円ないと安心できないという結論に至りました。

これは、1億円あれば不自由ない生活ができるという意味であって、1億円あるから満足かといえは決してそうではないです。

 

私は、60歳時点で1億円あったとして、悩むと思います。

だって、今後の生活費を考えたときに、1,000万円する高級車買えますか?私は買えません。

無職の状態で1億円あったとして、以降、資産は生活費として消費されていくわけです。そのような状況で1億円の10%である1,000万円を車の購入費に充てられますか?

決して心配無用な状況ではないはずです。

やはり、ドイツ車の新車をさらっと買うというような老後の生活は、資産2億円からということでしょうか?

では、60歳までに2億円貯められるか?イヤムリ・・・

1億円だってムリ・・・

さて、どうしましょうか。

 

 

解決策1:お金に執着しすぎないこと

お金!お金!人生はお金がすべて!という考えになってしまうと、結局のところ、お金がいくらあっても満足することはない、という結論に至りました。

マス層である私は必死に努力してアッパーマス層になろうとしています。

しかし、アッパーマス層になれば準富裕層を羨むようになるのは明らかです。

おそらく、準富裕層になれば富裕層を羨むようになる。

富裕層になれば超富裕層を羨むようになります。

「お金がすべて」という考えになれば、そりゃそうなりますよ。

でも、超富裕層って資産5億円以上ですよ、私には想像し得ないです。

何なら富裕層(資産1億円以上)の達成すら想像できません。

想像できないということは、実現できないわけです。

つまり、私は富裕層にはなれないわけですから、人生をもっと豊かにするためには、今よりお金に執着しないように考える必要があります。

アッパーマス層になれれば、ひとまずお金に関してはゴール達成ということで楽観的に考えるようにしたいと思います。

 

解決策2:70歳まで働くこと

あと10年もすると、70歳定年というのも現実味を帯びるのではないでしょうか?

私はお金があるなら働きたいくないですが、お金がないから働くしかないかもしれません。

 

ここで70歳まで働くという前提で、資産形成について再度シミュレーションしてみましょう。

 

人生100年時代ですから、退職後の余生は30年とします。

生活費20万円/月⇒240万円/年×30年=7,200万円

固定資産税20万円/年×30年=600万円

住宅リフォーム500万円

自動車500万円×1台(退職後1台購入想定)=500万円

軽自動車200万円×1台(妻の移動用)=200万円

支出合計9,000万円(60歳定年に比べマイナス3,300万円)

このうち、夫婦2人での年金受給10万円/月×12×35=4,200万円

9,000万円ー4,200万円=4,800万円

 

70歳の退職時に資産が4,800万円。いわゆるアッパーマス層に該当しますから、これなら頑張ればイケる気がします。

なんか、見えてきた気がします。でも、70歳まで働くような社会になれば、勤務形態もより多様化しているはず。プライベートを優先できるような短時間勤務、週休3日制などの条件ならば、逆に日常生活にメリハリがあっていいかもしれません。

そうすると、やはり健康面が大切です。

70歳まで働いて、その後すぐ出歩けないような体になっては、老後の人生を楽しめないですからね。

 

解決策3:退職後の収入源をつくる

今回のシミュレーションは、退職後に年金以外の収入はないことを前提としました。

すると、当然ですが、これまで必死に貯めてきたお金は減っていく一方です。

このお金の減り方を通常よりも緩やかにしましょうという考え方です。

決して資産を増やすことを目標にするわけではなく、生活の足しになる程度(例えば10万円程度)の収入でいいわけです。

自身で働いて稼いでもいいですし、投資による収益を考えてもいいでしょう。ただ、ハイリスクの投資は避けた方が無難だと思います。

今回、これらの3つの解決策を提案してみましたので、今後時間をかけて深堀りしていきたいと思います。

 

日々の何気ない生活が幸せ

少し話題を変えますが、私、数年前にちょっとした手術で数日間入院しました(確か4日間)。

このとき、退院した時の喜びは今でも鮮明に覚えています。

何気ない家族との触れあい、自宅で過ごす時間、ただこれだけのことが本当に幸せなことだとしみじみ感じました。

たぶん、お金がいくらあったとしても、このようなものが失われたら、今以上にモヤモヤすることは容易に想像できます。

 

まとめ:モヤモヤの正体はお金だった

私の場合、モヤモヤの正体はお金でした。

有名スポーツ選手が1年で何十億円も稼ぐと聞くと、「自分は一生働いて数億円しかもらえない」と嘆いたりしていました。

あるいは、フェラーリやポルシェ、メルセデスなどを乗っている方を見かけると「あの人は何をやってそんなに稼いでいるんだろう。自分は乗りたくても乗れないのに。」と嘆いていました。

私のモヤモヤは所詮そのようなものです。

正直、かなり小さなことに悩んでいたのだと安心しましたが、ただ、人生で大切なものランキングでお金が1位であるくらいですから、お金が大事なことは間違いないです。

でも、平均以上に稼いでいるのだから、これ以上貪欲に考えるのはやめましょう。

年収が数千万円とか数億円の人を羨むのはやめましょう。

羨んだところでたぶんいいことは起こりません。

上には上がいます。上の人ばかりを見て羨んでばかりでは幸福度が下がるのは当たり前です。

ある調査によると、年収800万円になると、それ以上はいくら年収が高くとも幸福度はあまり上がらないらしいです。であれば、私の幸福度はもうほぼマックスのはず。

少し肩の力を抜いて、楽観的に、そして健康面に配慮した生活を心がけたいと思います。

 

ここまで長々と40代の悩みを書いてきました。この記事を自分でも見直して前向きに人生を歩んでいきたいと思います(内容は更新していくかもしれません)。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。少しでも参考になれば幸いです。